三回公務員退職をして、今もまた新しいキャリアを模索している変人自由人系元公務員の私ですが、学生時代はもっと枠にはまった思考をしていました。
レールに敷かれた道を歩む優等生だった私が、苦労して手に入れた「安定の公務員」の地位を手放してまでなぜ留学へと旅立ったのか?
この章では、一人の平凡な公務員が初めて踏み出した一歩について、お話ししたいと思います。
【1章】優等生だった公務員がレールを外れて留学へ飛び立つ話←今ココ
【2章】TOEIC900点超えの留学から一転、非常勤公務員から地方公務員への道
目次
女性にとって働きやすい国立大学
新卒で初めて公務員としてのキャリアを始めた国立大学は、女性の働きやすさという点で素晴らしい職場でした。
国立大学の職員は、私が採用された当初は国家公務員でしたが、現在は準公務員の身分です。
他の公務員と比べ、女性職員が多く、しかも重要なポストに就いています。
地方公務員の一例と比較すると下記の通りです。
数字から見ても分かる通り、女性の活用が大変進んでいる環境です。
そんな恵まれた職場を退職したのはなぜだったのでしょうか?
学生時代から公務員試験合格まで
私は子どもの頃から、「学校の勉強がよくできる子」でした。
中学校、高校通して成績はほとんど学年1桁~10番台をキープ。
けれども、実家は裕福でなかったので、大手塾には通わず、進研ゼミや学校の補習を利用する「節約型勉強」をしていました。
高校時代の私は、作家や小説家に憧れていました。
小説家の登竜門大学といえば、早稲田大学の第一文学部!
しかし、貧乏な家庭で地方在住の私に、東京の私立大学はハードルが高く、親からは「仕送りを送れない」という理由で、諦めるよう説得を受けました。
そこで仕方なく、地元の旧帝国大学文学部に第一志望を変更、地道な努力の結果、現役合格しました。
大学生時代には、父親がリストラで早期退職をし、ますます、家計は厳しくなりました。
そんな影響もあって、私は女性が生涯自立し、安定して働ける公務員を目指すことにしました。
大学3年生の頃はまだ就職氷河期の真っただ中。
公務員専門学校(予備校)のTACに通学しました。
しかし、不況による公務員人気で、倍率が大変厳しかったので、大学受験とは比にならないプレッシャーで拒食症一歩手前まで追い込まれました。
しかし、猛勉強の甲斐あり、国家公務員2種試験(現・国家公務員一般職)に現役合格。
このままレールに乗って、優等生街道を進み、生涯公務員としての順風満帆な人生を全うするつもりでした。
公務員優等生から一転、キャリア迷子になる
ところが、社会人になって1年が過ぎ、心の中で変化が起きました。
こんな毎日でいいのか?これって本当にやりたいことなのか?
心が悲鳴をあげ始めました。
私はずっと「外部の物差し」で、進路を選んでいたのです。
地元で一番偏差値が高いという理由で、高校や大学を選び、日本で一番安定している職業という理由で、公務員を選びました。
就職活動においては、ほとんど自己分析をしませんでした。
自己分析なんて「志望動機をよりよく見せるためのこじつけ」でしかない、と考えていました。
私にとって、就職活動は、受験の点取りゲームの延長上でしかなかったのです。
私は、今、自分がやりたいことに耳を傾けず、まだ見えない将来の自分のために仕事を選びました。
自分の心の安定よりも、職業の安定を選びました。
けれども、いざ働き始め、うまくいかないクレーム対応や、自分が理想とすることと組織の対応のギャップ・・・
特に、公務員組織は硬直的で改善案もなかなか受け入れてもらえない面があります。
上司に提案しても、「これ変えたら、誰が責任取るの?」という返答だったり。
誰もがぶつかるような社会人としての困難に当たったとき、
大してやりたくもないことに人生の大半の時間を費やして、いつか後悔するんじゃないかな?
次々と疑問が湧き上がりました。
公務員組織特有の通称「異動ガチャ」も、悩みを深めた理由の一つです。
国立大学では、平均2~3年毎に、人事異動があるのですが、ずっと経理系の職員が人事系に動く、というように割とランダムに人事配置が行われます。
公務員はジェネラリスト志向の職場なのです。
上司ガチャもあるよ。公務員は閉鎖社会なので、上司もピンキリ。ハズレに当たる…こともある。。
留学生や外国人教員と接して、英語力を高め、海外との接点がある仕事を専門的にやってみたくなった私は悩みました。
仮に留学生業務で専門性を築きたいと思っても、異動ガチャによって、キャリアの道筋が立たないのです。
通信講座NAFLで日本語教師を目指す
留学や語学に携わる仕事への憧れは強まっていきました。
英語力を高めるために、留学が頭にちらつきました。
しかし、当時、学生時代から付き合っていて、真剣に結婚も考えていた彼氏がいた私にとって、それはとてもハードルが高いものでした。
そんなある日、「日本語教師」という仕事を知りました。
日本語を外国語として外国人に教える仕事です。
学生時代、言語学を専攻していて、「言葉の成り立ち」に強い興味があった私には、とても魅力的に感じました。
学生時代の先輩で、大学院に進み、将来、大学の日本語教員を目指している友人がいたこともあり、専門性の高さにも憧れを抱きました。
しかし、日本語教師として働くために必要な資格の一つとして考えられている日本語教育能力検定試験は合格率20%程度。
420時間の日本語教師養成講座修了も、この検定試験合格と同等の資格と見なされます。
しかし、社会人にとって働きながら、通学するのは厳しく感じました。
そして、通学のコースは30~60万円が相場。
また、当時、日本語教師は働き口があまりなく、養成講座を出ても非常勤の仕事に就けるか就けないか?という狭き門の仕事でした。
まずは今の仕事を続けながら、適性も見極めたい。
それには安価な授業料で済む通信講座が一番だと考えました。
そこで、語学教育に定評のあるアルクのNAFL(日本語教師養成プログラム)で勉強を始めることにしました。
1年間、隙間時間や遊びを我慢してコツコツ勉強し、コースを修了したおかげで、日本語教育能力検定試験も見事合格。
実習コースのみ、日本語教師養成講座で受講し、土日、ボランティアも始め、日本語教師になる準備を着々と始めました。
一番やりたいことを突き詰めて留学を選ぶ
しかし、私の心の迷いはまだ晴れませんでした。
日本語教師として生計を立てていくことは非常に厳しく、決断することができません。
実習コースのクラスメートは中国やベトナムに就職したり、国内の非常勤講師の内定を得る中、私は今一つ決断をすることができませんでした。
ある日本語学校に履歴書を送り、面接で言われた時の言葉が私の心に刺さりました。
大変やりがいがある仕事ですよ。
けれど、公務員の待遇に見合うものは、どの学校も用意できません。
仕事の厳しさに直面した時、この給料と待遇であなたが納得できればよいのですが。
私にとって、女性が自立して働ける可能性が高いことは重要でした。
日本語教師としての道が途絶えた時、私の手に残るものは何か?
別の道は志せるのだろうか?
英語なら、例えば、英語教師がだめでも客観的に見える数字が残ります。
30代には、子どものいる家庭と
やりがいと専門性のある仕事をしたい
自立できる程度の収入を得たい
→ 需要が高い英語を極めたい
→ まだ、独身のうちに留学をしたい
私が自分の心と真剣に向き合い、悩んだ末、出した結論でした。
彼氏とは1年後に必ず戻ってくる約束をし、私は4年勤めた国立大学を辞めました。
そして、在職中に一生懸命貯めた貯金を手に、
一人、カナダへと旅立ちました。
1章 公務員がレールを外れて留学へ飛び立つ話まとめ
学生時代は「レールに乗った優等生」
国立大学職員時代に初めてキャリアの迷子に
日本語教師の資格を取得するも
一番やりたいことを突き詰め、留学を決断する
きなこ・20代半ばのキャリアに関する決断
・30代に家庭を築くことを目標に
20代はリスクを取ってスキルアップ
・やりがいと高い専門性を持てる仕事を目指す