国立大学で、キャリアと自分の人生について向き合った結果、20代半ばで大きく飛躍するために留学へ飛び立ちました。
持前のガッツで、留学先ではTOEIC985点という英語力と肩書に囚われない柔軟な思考を手に入れました。
時給5000円の商談通訳経験も舞い込み、これから順調にキャリアアップできる!と思っていた矢先、リーマンショックという未曽有の不景気が起こります。
「派遣切り」で多くの人々が露頭に迷った時代、新しいキャリアを始めることは容易でなく、同時に恋人も失うことに・・・。
成功から一転、28歳で全てを失った女がパートタイム非常勤公務員となり、そこから這い上がり、地方公務員となるまでについてお話ししたいと思います。
目次
留学で得た成果:TOEIC900点超えの英語力、通訳の経験、柔軟で広い視野
カナダ留学は実りあるものでした。
カナダ文化を直に学び、多くのかけがいのない友人と出会うことができました。
留学で得た成果は3つあります。
TOEIC900点超えの英語力
留学前のスコアは800点台前半、帰国後900点超えが目標でした。
しかし、TOEIC対策コースなどは、日本でも通えるので、留学先では実践を重視しました。
ビジネスの専門学校に通ったり、
地元のコーラス隊に入ったり、
アメリカ人とルームシェアしたり、
地域のサークルに参加したり、
法律無料相談NPOに自ら履歴書を送ったり・・・
ところが、帰国予定3か月前を控え、受験したTOEICの結果は895点…
1か月後にまたTOEICを予約し、とある対策をした結果、985点に。
1か月で100点伸びた秘密はこちら。
こうして、私は留学を経て、900点を優に超えるスコアを取得でき、夢への第一歩に大きく前進しました。
具体的には次の項目へとつながります。
時給5000円!夢の商談通訳の仕事
二つ目は通訳の実績につながったことでした。
留学中、通訳・翻訳の専門学校にも通い、帰国後は通訳を目指したいと私は思うようになっていました。
900点は通訳・翻訳の世界では、いわば登竜門となる点数なので、900点台の志望者はゴロゴロいます。
しかし、ほぼ満点の985点はその中でもやはり目立ちます。
帰国直後、JTBの子会社に登録をしましたが、コーディネーターの目にスコアが留まりました。
スコアのおかげで私は印象づけられ、未経験者に回ってこないような商談通訳の代打に声をかけてもらえました。
地元のホテル・飲食店・観光関係者と、海外の旅行エージェントの橋渡しをする役です。
ヒルトンホテルの一会場で行われる華やかなものでした。
通訳未経験で、時給5000円の商談通訳という、重役をゲットしたのです。
1か月で895点から985点に伸びたのですから、正直900点と985点の英語力に差異はありません。
けれど、記憶の残り方に圧倒的な差が出ます。
私は夢への足掛かりを少しだけ掴むことができました。
柔軟で広い視野
カナダは日本のように日本人が大多数を占める単一民族国家ではありません。
なので、宗教・出身国・文化など、皆が違っていることが当たり前です。
すると、他人の年齢も職業もどうでもよくなります。
そんなことを聞いたところで、人とのコミュニケーションの役に立たないからです。
日本では、「旧帝」、「公務員」という外部の分かりやすい物差しで評価され、生きてきた私が、留学先では「ただの私」になれました。
鳥かごに閉じ込められたオウムが空へと解放されるような、そんな心地よい感覚を味わうことができました。
視野が広がって人間関係の幅も広がり、また、しなやかに生きる力が身に付きました。
留学後、しばらくして、どん底も味わいましたが、この力のおかげで、また、柔軟に発想を切り替え、困難を乗り越えることができたのです。
初めての民間転職で、外資系企業正社員に
こうして、TOEIC900点超えという目標を達成した私は、「まずは社内通訳を目指してがんばるぞ!」と、やる気に満ちていました。
そんな矢先、リーマンショックが起きました。
千年に一度と言われた大不況です。
私はどんなに努力しても報われない時があることを知りました。
応募できる求人が正規・非正規問わず、全くないのです。
面接試験の途中で、企業の業績が悪化し、求人がクローズすることもありました。
そんな中でも転職エージェントに数社登録し、努力した結果、2社内定をもらうことができ、外資系企業の正社員の仕事を選びました。
製造業のメーカーの事務職で、時に工場通訳も任せてもらえるというポジションでした。
しかし、リーマンショックの余波は就活への影響だけに終わらなかったのです。
この後、予想もしていなかった不況の波へ飲まれていくことになります。
28歳・彼氏なし・無職のどん底に落ちる
リーマンショックは、就活(転職活動)にだけ影響を与えるものではありませんでした。
不況の波は、入社した会社の事業をも飲み込んでいきました。
入社後は、地元の営業所に配属されていた私でしたが、1年も経たないうちに、事業方針の変更があり、私の配属されていた営業所は閉鎖、転勤命令が下りました。
地元で働きたかった私は退職を余儀なくされてしまいました。
不測の事態の連続に、私は安定した公務員を捨てて、留学した自分を責め続けるようになりました。
努力すれば、必ず目標を達成していた今までの経験から「自分はどこかで道を間違えたんじゃないか」、繰り返し繰り返し、自分を責めて、鬱症状も経験しました。
帰国後に結婚を約束していた恋人とは1年半の遠距離を経ても付き合いは続いていました。
しかし、留学で価値観が変わってしまった私と彼の間はすれ違う一方です。
鬱症状も相まって、お別れすることになりました。
私は28歳にして、仕事も、恋人も、何もかも失ってしまったのです。
パートタイム非常勤公務員。からの公務員受験
不況の中、求人もなく、手詰まりで弱り切っていた私でしたが、家族の支えもあり、自分が持っている一番の実績を思い出しました。
それは、公務員試験のノウハウと、公務員として勤務した実績でした。
チャンス(求人)が今はないのなら、
得意なことで、今は勝負したらいいんだ。
また、30歳を目の前にして、婚約破棄となった私は一生独身も覚悟した上で、また、うつを経験した後なので、自信を持って取り組める仕事を選ぶ必要がありました。
それには、公務員が最適だと思いました。
私は退職した国立大学に出戻り、慣れ親しんだ仲間のいる職場でパートタイムをすることに決めました。
慣れている仕事でプレッシャーもなく、勉強時間を作り出しやすいからです。
また、国際交流を担当する部署での公募だったので、英語を生かせる内容は魅力的でした。
しかし、かつて、正規職員だった職場に「パート」で戻るのは少し勇気のいることでした。
かつての同期は「正社員」、時に「上司」
留学で色々得たはずの私は「パート社員」
そして、自分より若く、経験もない正規職員の下、指示を受けることもあります。
また、正規職員の中には、明らかにパート職員を「下働き」として見下す人もいます。
けれども、新たな道へ進むために、プライドを捨て、古巣に戻る決意をし、応募書類を送ったのです。
パートタイム職員とはいえ、平日に勉強に費やせる時間は、通勤の時間往復2時間、帰宅後、自宅で1~2時間でした。
私は、新卒の頃、TACに通学し、公務員試験の一通りのノウハウがあったので、独学でコツコツと一年勉強を続けました。
独学時に勉強方法や使用した参考書はこちら。
高齢・短期間離職・ブランクあり・パート職員の女が地方公務員になる
勉強を続けた結果、失った自信を少しずつ取り戻し、留学していた頃のように、「肩書のない、ただの私」をまた、受け入れることができるようになっていきました。
そして、努力の甲斐があり、無事、一年の準備期間を経て、一つの自治体の学校事務・筆記試験に合格しました。
面接試験の対策はしていたものの、下記の点が不利になるかもしれないという懸念がありました。
- 結婚や出産が懸念される29歳という年齢の女性
- 留学中の職歴ブランク
- 外資系企業での短期離職
- パートタイム(非正規)職員の職歴
しかし、不利になりそうな要素を全て前向きな理由に置き換えて、自己PRや志望動機につなげました。
公務員の面接対策についてはこちら。
前向きな理由で説明した結果、留学によるブランクも、短期離職やパートタイムの職歴も、不利に扱われることはなく、むしろプラスに働きました。
そして、晴れて今度は地方公務員試験に最終合格したのです!
2章 非常勤公務員から地方公務員への道まとめ
・TOEIC900点超え成功の留学から一転、
28歳・彼氏なし・無職のどん底に落ちる
・新卒の職場でパートタイム公務員から再スタート
・パートタイム公務員の社会人が公務員試験合格した秘訣
困難に立ち向かい、時流に合わせて方向修正し
前向きに生きる!